「夏空の光」/「怪談夜話-其の三」歌词
蘇芳:三月になった。
ある午後、私が何時ものようにぶらっと散歩のついでに
ちょっと立寄ったとでも云った風に節子の家を訪れると
門を入った直ぐ横の植込みの中に
労働者の被るような大きな麦稈帽を被った父が
片手に鋏を持ちながら
そこいらの木の手入れをしていた。
私はそういう姿を認めると
まるで子供のように木の枝を掻き分けながら
その傍に近づいていって
二言三言挨拶の言葉を交わしたのち
そのまま父のすることを物珍らしそうに見ていた。
(風の音と白羽蘇芳の書痴仲間の涼やかな声
軽やかな声音が私の耳に
静かな図書室の中
密やかに響いていた。)
蘇芳:父はなんだか困ったような顔つきをしたまま
しかし私の方を見ずに
自分の目の前にある木の枝の一つへいきなり鋏を入れた。
それを見ると、私はとうとう我慢がしきれなくなって
それを私が言い出すのを父が待っているとしか思われない言葉を
ついと口に出した。
「なんでしたら僕も一緒に行ってもいいんです。
いま、しかけている仕事の方も
丁度それまでには片がつきそうですから……」
私はそう言いながら
やっと手の中に入れたばかりの莟のついた枝を再びそっと手離した。
(瞳を瞑ったまま、車椅子の背に体を預け
白羽の朗読
堀辰雄の中編小説「風立ちぬ」を耳にしているのは。)
蘇芳:それから私達はそのサナトリウムのある山岳地方のことなど話し合っていた。
が、いつのまにか私達の会話は
父のいま手入れをしている植木の上に落ちていった。
二人のいまお互に感じ合っている一種の同情のようなものが
そんなとりとめのない話をまで活気づけるように見えた。
(書痴仲間に「お前の朗読が聞きたいんだ」と甘えた振りをしたのは
ああ、そうだ、彼奴のせいだ。)
蘇芳:父は鋏をもった手で、庭木戸の方を示した。
私はやっと植込みの中を潜り抜けると
蔦がからみついて少し開きにくい位になったその木戸をこじあけて
そのまま庭から、この間まではアトリエに使われていた
離れのようになった病室の方へ近づいていった。
節子は、私の来ていることはもうとうに知っていたらしいが
私がそんな庭からはいって来ようとは思わなかったらしく
寝間着の上に明るい色の羽織をひっかけたまま
長椅子の上に横になりながら
細いリボンのついた、見かけたことのない婦人帽を手でおもちゃにしていた。
えりか:千鳥…
蘇芳:えりかさん?
えりか:朗読を止めちまったな、済まない。
蘇芳:いいえ、いいの。何が聞こえた気がしたから。
えりか:お前の朗読の巧さに唸ったのが声に出ただけさ。
前にあったラプンツェルの時とは比べ物にならない。
蘇芳:そんな…褒め過ぎよ。
えりか:私は嘘と冗談を生まれてこの方言ったことがないのが誇りなんだよ。
蘇芳:もう。
(微笑み叩く真似をする書痴仲間へと猫の笑みを向け
視線は書棚に隠れた彼奴を取られる。)
蘇芳:誰か居るの?
えりか:気のせいだったよ。もう少し続けてくれないか?
それっと…
蘇芳:あっ。
えりか:もっと傍で聞きたい。
お前が声が小さいからなあ。
蘇芳:こんなにくっつきそうになるほど寄らなくても聞こえると思うけど…いいわ。
(書痴仲間の肩に頭を据えるようにして、耳を傾ける。
私の目は書棚に隠れ、私達を見遣る考崎千鳥へと向けられたのだ。
そう、書痴仲間へ甘えるようならしくない真似をしているのはアミティエの
考崎千鳥のせいだ。
江戸の敵を長崎で討つってやつだぜ。
「千鳥には嫉妬して貰わないとな」そう呟きながら
何故らしくない真似をしたのか、ここ数日前の事を思い返した。)
(今から少し前の事。
アミティエである考崎千鳥と協力し、
遅れに遅れてしまったバスキア教諭へのプレゼントを渡すことに成功した私達。
手作りのアクセサリを千鳥と作ったことによって
更に絆は深まったと思ったが…
ここ最近、千鳥の奴の態度が可笑しい。
妙な態度になったというか…
いや、態度が可笑しいのはいつも通りなんだが、余所余所しくなったというか…
それに、最近、書痴仲間である白羽とよく釣るんでいるのも気になる。
唯一の友人を取られて嫉妬してるわけじゃないが…)
フラワーズ?サウンドドラマCD~夏空の光
えりか:(欠伸)おい、また此奴は…
千鳥:…
えりか:何度言っても私のベッドに忍び込みやがる。
暑くて寝苦しいだけだってのに…おい、起きろ!
千鳥:…
(揺らしたっていうのに起き上がらない。
千鳥は切れ長の瞳をしっかりと閉じ、朝の眠りを楽しんでいる。)
えりか:私は…何時もお前がするように襲っちまうぞ。
(無防備な唇を見詰めた、
薄いあどけない唇は色付きのリップを塗ったかのように鮮やかな桜色だ。)
千鳥:…
えりか:黙っていれば美人なんだよな…
(いや、性格も初見ではむかつく奴だとしか思っていなかったが
歯に衣着せぬ物言いは裏を返せば素直で実直だってことだ。
私はそいつにだいぶ助けられた。)
えりか:千鳥
(自分でも分からぬまま、何かに突き動かされたように
私の指は千鳥の唇に誘われ、触れた。
触れた刹那、心臓を掴まれたような気分になり
手を引いてしまったが、胸に沸いた不可解な感情を確かめるよう
再び、桜色の薄く柔らかな唇をゆっくりと指でなぞった。)
千鳥:…
えりか:何時もとは逆だな…
(私を避けるような余所余所しい態度に臆病になっているのかもしれない。
千鳥の敏感な部分に触れていると、彼女と心が通い合った気がした。)
えりか:心配させてくれるのよ…
(唇に触れていた指を離すと
傍らで安らかな寝息を立てている千鳥へと自然と顔を寄せた。
自分でも何をしようとしているのか説明出来ない。
こんな恥ずかしい真似、何時もなら絶対にしない。)
えりか:千鳥…
(怖々と重ねた唇は、触れるか触れないかの物だったが、それでも私の心を温めた。
穏やかな春の朝を思わせる気持ち、彼女と私は繋がっているのだ。)
千鳥:えりか?
えりか:ようやく御目覚めか?
千鳥:(笑い)私のベッドに潜り込んだの?
えりか:お前が私のベッドに潜り込んだんだよ。
暦じゃ秋も近いがまだ暑い、寝苦しいだけだろうが。
千鳥:(欠伸)そんなことないわ、えりかと一緒の方がよく眠れるの。
安心するのね。
えりか:抱き枕じゃないんだぞ。
千鳥:抱いてもいいの?
えりかの匂いだけで満足しようとしてるのに。
(「言ってろ」と言い。頭を小突く
どうやら先の恥ずかしい一連には気付いていないようだ。)
えりか:(呟き)私の思い違いだったかな?
千鳥:うん?何が?
(朝に交わした遣り取りで、抱いていた疑念は晴れた。
そう思っていたのだが…)
えりか:まだ戻っていないのか?
(授業が終わり、私は図書室に寄ってからの帰宅だ
先に戻った千鳥はとっくに部屋に戻っていると思ったが…)
えりか:いや、鞄がある。部屋には一度戻っているのか?なら…
(何時もとは違う態度。
そして、不自然に仲の良い千鳥と書痴仲間…)
えりか:(呟き)まさかな…
(呟きながらも疑いを払拭する為
ある場所へと向かうことにしたのだ。)
千鳥:ええ、そうなの、えりかが怒って。
蘇芳:それって怒ってるんじゃないと思う。
八重垣さん、照れ屋さんだもの。
千鳥:まあ。そこが可愛いだけど(笑い)。
えりか:おい…嘘だろう?
(拭い去ろうとした疑いは最近頓に二人でこそこそやっている東屋で
白羽と千鳥が親密な様子で笑い合っているのを耳にして
更に深まってしまった。)
えりか:一体…
蘇芳:そう、そんなことが…意外だわ。
千鳥:私の話は此れで御仕舞い
次は白羽さんの話を聞かせてほしいわ。
蘇芳:私の…ですか?
千鳥:ええ、私だけ話すのはフェアではないもの
白羽さんの恋愛話も聞きたいわ。
蘇芳:私…私は…
千鳥:匂坂さんと付き合っていたのよね?
蘇芳:そ、そうだけれど…
千鳥:匂坂さんは学院を離れたそうだけど
付き合っていた時キスはしたの?
蘇芳:!
千鳥:うん?何か可笑しい事を聞いたかしら?
恋人同士だったのでしょう?
蘇芳:っそれはそうだけど…
千鳥:ならキスぐらいはしたのよね?
蘇芳:…うん…
千鳥:うん?
蘇芳:その…しました。
えりか:くそ!随分楽しそうじゃんかよ。
(出歯亀のような真似をして声だけを何とか拾っちゃいるが…)
えりか:キス?いま「キス」って聞こえるぞ!どういうことだ?
千鳥:そうなの、それって白羽さんから?それとも相手から?
蘇芳:そ、それは…
千鳥:その照れ方からすると両方ってところかしら?
蘇芳:私…
千鳥:もしかして、その先もしているの?
蘇芳:そ、その先って?
千鳥:(笑い)言わなくても分かるでしょう?
蘇芳:そ、そんなこと言えません!
千鳥:そうなの?後学のために知りたかったんだけど…
えりかああ見えておくてだから、私からじゃないと駄目みたいなの。
蘇芳:そうなんですか?
千鳥:でも私ってする方よりされる方が好きなの。
やっぱりリードされたいじゃない?ね、白羽さん?
蘇芳:し、知りません!
千鳥:うん?どうしたの、白羽さん?顔が赤いわ。
蘇芳:そろそろ始めましょう。遅くなってしまいますよ。
千鳥:あ、そうね。
えりか:始める?おい、一体何を?
千鳥:ここは…
蘇芳:あの…手を握って。
千鳥:ええ。
蘇芳:なら連れて行って。駄目ですか?あなたを。
(様子を窺っていた耳に決定的な言葉を聞こえ
胸の中に黒い感情が生まれた。
私の中に不安にも似た恐れが暗い雲の様に沸き立っていた。)
えりか:本当に…千鳥は…白羽と…
えりか:あれってそういうことだよな。
(昨日東屋で聞いた千鳥と書痴仲間の睦まじい声が、言葉が
暗く胸の中で渦巻いていた。)
えりか:千鳥が白羽と…?
彼奴は、私と付き合っているんじゃないのかよ。
(バレエ発表会で互いに互いの絆を確かめ合った
そう思っていたのに。)
えりか:おい…笑ってるんじゃないぞ。
(首を傾げ私を見上げる兎へ悪態をつく、無様だ。)
えりか:相手がドンファンだってことに気付いてなかった…
私の手落ちってやつか?
(恋愛ってのはこれだっていうルールがない。
恋人を何人も持ちたい奴だっている。
あいつがそうだったってことか。
しかし、よりによって白羽じゃなくたって……)
えりか 「あ、うっうん、はくちゅ―」
蘇芳 「ふふ、えりかさん、驚いた?」
えりか 「なっ、お前……」
蘇芳 「大丈夫、干し草よ。」
えりか 「鼻先をくすぐったのが干し草だったら何が大丈夫だってんだよ。
悪戯なんてらしくない真似するじゃないかよ、白羽。」
(胸を塞ぐ理由である当人を前に、急ぎ、いつもの仮面を被る。
そして、「名前呼び気安いぞ」と告げた。)
蘇芳 「いつも驚かされているから、お返しよ。」
えりか 「今回はお前に驚かされているけどな。」
蘇芳 「なーに?」
えりか 「いや、こんな所にどうしたんだ。ウサギのご機嫌伺いか」
蘇芳 「何だか八重垣さんが落ち込んでいるように見えたから
もし何があったのなら、話して欲しくて。」
えりか 「白羽……」
(「お前が理由だよ」とそう言えればどんなに楽か。)
蘇芳 「えりかさん?」
えりか 「名前呼びに戻ってるさ。
だがありがとうよ、友を気遣う感動的な場面だ、今にもロッキーのアイ·オブ·ザ·タイガーがかかりそうだよ。」
蘇芳 「ふふ」
えりか 「なんだよ。」
蘇芳 「ふふ、だって、えりかさんが私のことを友人だって
もしかして初めてじゃない?だから嬉しいの。」
えりか 「そこは選曲がおかしいっていうところだぞ。」
蘇芳 「私としては感動的だったから、おかしくない選曲だわ。」
えりか 「そうかい。」
(してやったりという顔つきの書痴仲間へ、いい悪戯を思いつく。
頭を悩ませていることも解決できて、一石二鳥というやつだ。)
えりか 「最近、千鳥と仲いいみたいだな。」
蘇芳 「え?考崎さんと?」
えりか 「だろう?」
蘇芳 「図書室へ本を借りに来てくれるようになったから、前より話していると思う。
ふふ、それも本好きになって、えりかさんと話題を共有したいからだわ。」
えりか 「今はそういう心温まる話は脇にどかしておくぞ。
で、どうなんだ?」
蘇芳 「どうって言われても……」
えりか 「わざわざ呼び出して、口にできないことをしてるんじゃないのかな?」
蘇芳 「うっ、そんなこと……」
(白羽は「してないわ」と口にしなかった。それに)
えりか 「目が泳いでいるぞ。」
蘇芳 「うっ、嘘。あっ、そうじゃなくて。
ウサギさんが可愛いから、そっちを見ていて……」
えりか 「そうかい。まぁ、そいつはいい。
それと全く関係ないことなんだが……もう一つ話があるんだ。
お前の襟元、でかいバッタがついているぞ。」
蘇芳 「え?えっ?」
えりか 「聞こえなかったのか?まだそんな歳じゃないだろう。
よく聞けよ、右の襟にバッタ、トノサマバッタかな。
でかいのがブローチみたいについてるって忠告したんだよ。」
蘇芳 「ひっ!」
(虫嫌いの白羽は冷凍景になったハン?ソロ船長のごとく
固まったまま動かない。
いや、動けないのだ。
少しでも動いたら最後
顔に飛び掛かってくるとでも想像しているんだろう。
ちなみに、バッタがついているのは嘘だけどな。)
蘇芳 「え、えりかさん……」
えりか 「どうした、顔色が悪いぞ。熱中症か?」
蘇芳 「とって……取って!お願い!」
えりか 「バッタを?可愛いじゃないか。
沙沙貴姉の方にくれてやれば喜ぶんじゃないか。あいつそういうの好きだろう。」
蘇芳 「あああっ……お願い!お願いよ!」
えりか 「ふふ、分かった、分かったよ。それじゃ、取ってやる代わりに質問だ。
千鳥と仲がいいよな。」
蘇芳 「え?ええ?」
えりか 「東屋で二人で何をやってたんだ?それを吐いたら取ってやるよ。」
(正直、楽な等価交換だと思った。さっさと答えてしまうだろうと。だが……)
蘇芳 「い、言えないわ……」
えりか 「なに?」
蘇芳 「た、考崎さんと約束したのだもの。だから、言えない。」
えりか 「千鳥と約束?」
(青い顔をしながらも必死で約束を守ろうとする書痴仲間を見て
もしかして……恋愛絡みでは……ない?
白羽のことだ、二股をかけているのかと問い質されたら、こういう反応じゃない。
もっと申し訳なさそうな、世界の終わりのような顔をするはずだ。なら……)
蘇芳 「えりかさん……」
えりか 「すまなかったな、白羽。もういい。」
蘇芳 「えっ、なにが?」
えりか 「怯えなくてもオッケーってことだよ。」
蘇芳 「虫を取ってくれるのね。」
えりか 「虫なんていない。」
蘇芳 「えっ?」
えりか 「ブラフだよ。悪戯されたから、仕返ししただけの話さ。」
蘇芳 「ほ、本当に?掌くらい大きくて、歯がギザギザで鋭くて
血のように真っ赤なバッタはいないよね?」
えりか 「お前の中でどんだけ妄想が膨らんでるんだよ。」
蘇芳 「はっ、もう!」
えりか 「あっ!!おい!」
蘇芳 「こ、怖かったんだから……うう……」
えりか 「ああ…うん…分かった、分かったから。
悪かったって。もう二度としない、神に誓う。」
蘇芳 「本当に?」
えりか 「ああ……だから、その、抱きしめるのはよしでくれ。」
蘇芳 「だめ!まだ怖いんだもの!」
えりか 「まいったな。押し付けられてる胸の感触で、私のプライドが砕けそうなんだがね……」
蘇芳 「あっ?平気よ。えりかさんの胸もちゃんと感じるわ。」
えりか 「そういう意味じゃいだがね……」
(強く抱きしめる白羽の頭を撫でながら……)
えりか 「うん?」
蘇芳 「ど、どうしたの?まさか……」
えりか 「虫じゃない。どこからか視線を感じたんだが……」
(辺りを見回すも、人影を見つけることはできなかった。
だが、まあ。誤解が解けたってことで、よしとしとこうか。)
千鳥視点
(白羽蘇芳を初めて見た時、目を疑った。
芸能の世界で生きてきた私から見ても、彼女の美しさは群を抜いていたから。
きめ細やかで真っ白い肌、髪は長く艶やかで、瞳と同じく吸い込まれそうな濡れ色。
いえ、見目の美しさより、彼女を前にすると
大切に守っていた心の芯の部分を強く揺さぶられるような、危うい美しさなのだ。
だから……えりかが特別視するのも分かる。)
蘇芳 「紅茶でいい?」
(伺った白羽さんの部屋、カップを用意する彼女へ)
千鳥 「構わないわ。」
(昨日見た、見てしまった。ウサギ小屋でのえりかとのやりとり。
遠くからだったから、細かい話までは聞けなかったけれど
あんなに……親密に抱きしめ合って……)
蘇芳 「どうぞ、熱いから気を付けてね。」
千鳥 「ありがとう。うっ、美味しい。」
蘇芳 「気に入ってもらえてよかった!立花さんに習ったのよ。」
千鳥 「そう。委員長と仲がいいものね。」
(「ええ」と朗らかに笑う。私の前でなぜ屈託なく笑えるのだろう。
そういえば、彼女は匂坂さんと付き合う前、花菱委員長とも付き合っていたそうだし……
恋多き女というやつなのかしら。)
蘇芳 「大分完成してきたわ。あともう少しね。」
千鳥 「ええ、白羽には感謝しているわ。私だけでは難しかった。」
蘇芳 「そんな!初めての経験ができて、私も楽しかったわ。」
千鳥 「私、借りは作りたくないの。何かでお返しすることはできないかしら?」
蘇芳 「そんな、お返しなんて……」
千鳥 「私が返せるもの……そうだ、唄なんてどうかしら?」
蘇芳 「唄?」
千鳥 「ピアノが弾けると聞いているけれど、歌唱することが上手だって聞いてないわ。
私が上手に唄えるように指導するのはどうかしら?」
蘇芳 「それは……」
(逡巡している彼女を見て
そういえば、学院を去ったという匂坂さんは唄が上手だったのだと思い出した。
借りを作りたくないと、嫉妬から口に出てしまったけれど、考えなしだったろうか?)
蘇芳 「唄?そうね、せっかくだから、学んでみたいわ。考崎さん、お願いできる?」
千鳥 「ええ、もちろんいいわよ。」
(気を遣ったのが馬鹿らしくなるような笑顔を向けてくれた白羽さんへ、
私は肯き、落ち着くために、紅茶を一息で飲んだのだった。)
(蘇芳が唄っている。)空遠く、広がる群青、独り浮かぶ浮浪雲。
置き去りにされてる私の心のよう。
連れて行って穏やかな風にあなたを感じる。
差し伸べたこの手を握って。
千鳥 「そこまででいいわ。唄も上手なのね。」
蘇芳 「そ、そう?」
千鳥 「ええ、指導し甲斐がないくらい。でも……」
蘇芳 「ひゃっ!!」
千鳥 「もっと胸を張って唄ったほうがいい。口でなく体全体で響かせるようにするの。」
蘇芳 「え、ええ、分かったわ。あの、考崎さん……」
千鳥 「なに?」
蘇芳 「あの、手が、その……」
千鳥 「あっ、ごめんなさい。腹筋の具合を確かめようと思ったのだけど、少し胸に当たっていたわね。」
蘇芳 「うっ……」
千鳥 「それにしても……白羽さん、胸、大きいわね。」
蘇芳 「そ、そんなことないと思うけど……」
千鳥 「私も大きい方だと思っていたけど、白羽さんも……」
蘇芳 「ひゃっ!あっ、ええ?」
千鳥 「うん、やっぱりだわ。私と同じくらい。えりか、大きい方が好きなのかしら?」
(学院の夏服は思っているよりも体の線が出る。
白羽さんの胸を指でなぞり、大きさを確認していると
彼女はまるでメデューサに睨まれたように固まってしまっていた。)
蘇芳 「あっ……」
千鳥 「どうしたの?」
蘇芳 「手……手が触って……」
千鳥 「ああ、ごめんなさい。もしかして、スキンシップ苦手だった?女同士だからいいかなって思って。」
蘇芳 「よ、よくないです。そんなことをしていたら、ご、誤解されますよ。」
千鳥 「誤解?ええ、そうね。誤解されるようなことをしているわね。」
蘇芳 「そ、そうですよ!うっ、とにかくダメです!」
千鳥 「でも、誤解されるようなことをしているのはあなただわ。」
蘇芳 「えっ?……考崎さん?」
(壁際に彼女を追い詰め、腕で彼女を繋ぎ止めた。
真意を探ろうと、目を細めると怯えた。
少し前に見た映画、キャリーの視線に怯える人等のように。)
千鳥 「あなたは、白羽さんはえりかのことをどう思っているの?」
蘇芳 「えりかさん?」
千鳥 「あなたも名前で呼ぶのね。」
蘇芳 「あっ……八重垣さんは書痴仲間で……」
千鳥 「取り繕うようなつまらない真似は止しで!」
えりか 「そこまでだ!」
千鳥 「えりか…!?」
えりか「お楽しみのようだがな、そこまでだ。白羽をそうしていいのはお前じゃない。」
千鳥 「それは……あなただって言うの!?」
えりか 「白羽、委員長が呼んでいたぞ。被服室だ、行ってやれ。」
蘇芳 「えりかさん……」
千鳥 「えりか!!!」
えりか 「このことについて、お前と話すつもりはない。」
(子守の鳴き声のような、車椅子が去る音が鳴り
アミティエの淋しいそうな背に、私は何も言えなかった。)
えりか視点
(白羽と千鳥の関係、一度は私の思い違いだと納得した。
したのだが、あともう少しでキスをしようとしていた現場を目にしてしまった私は、混乱した。
恋愛は自由だと考えておきながら、割って入るなんてダサい真似までして。)
千鳥 「えりか、話があるの。」
(何度か千鳥からそう懇願されることはあったが
私は頑なに会話を拒否し、彼女を避け続けた。そして……)
蘇芳 「えっ?ここで朗読するの?」
えりか 「今なら図書室には誰もいない、迷惑する客はいないだろう。頼むよ。」
(いつもならしない気安い頼み、私は千鳥に嫉妬させるため
ここ数日、白羽と過剰に仲良く振る舞って見せた。
今も、書棚から私達を盗み見る千鳥のことを知った上で、だ。)
蘇芳 「いいわ、何を読んだらいい?」
えりか 「そうだな。」
(そして、話は冒頭に戻る。)
えりか:江戸の敵か…嫉妬して貰いたいとか、子供だよな。
蘇芳:私がフレンチ扉越しにそういう彼女を目に入れながら近付いて行くと
彼女の方でも私を認めたらしかった。
彼女は無意識に立ち上ろうとするような身動きをした。
が、彼女はそのまま横になり、顔を私の方へ向けたまま
少し気まり悪そうな微笑で私を見詰めた。
えりか:白羽を出しにしてまで…
蘇芳:「起きていたの?」私は扉の処で、幾分乱暴に靴を脱ぎながら、声をかけた。
「ちょっと起きて見たんだけれど、直ぐ疲れちゃったわ。」
そう言いながら、彼女は如何にも疲れを帯びたような、力無げな手付きで
ただ何んということもなしに手で弄んでいたらしいその帽子を
すぐ脇にある鏡台の上へ無造作に放り投げた。
えりか:白羽?
蘇芳:朗読は御仕舞い。
えりか:何だよ、これから盛り上がるところだろう?
蘇芳:聞いていない人が何を盛り上がるっていうの?
えりか:っ
蘇芳:朗読なんて本当は聞きたくなかった。違う?
(白羽の言葉に書棚へと視線を向けるも、千鳥は既に消えていた。
私は溜息を吐くと不承不承頷いた。)
えりか:音読より黙読派だよ。まあ、お前の声はセクシーで耳に心地良かったけどな。
蘇芳:考崎さんのことで悩んでいるのね。
えりか:…
蘇芳:やっぱりそう。えりかさんだけじゃない、考崎さんも様子が可笑しかったわ。
また喧嘩をしたのでしょう?
えりか:お前が原因だよ。
蘇芳:私が?!
えりか:少し前お前の部屋で千鳥が壁際に追い込んで
その…お前にき、キスをしようとしていただろう?だから…
蘇芳:ふふ
えりか:おい!
蘇芳:御免なさい、笑いことではなかったわね。でもそれは誤解よ。
あの時、考崎さんに兎小屋でほら、抱き着いたことがあったでしょう。
それを尋ねられていたの。今のえりかさんみたいに。
えりか:それじゃ私達は…お互いでお互いを…
蘇芳:誤解し合っていたわけ。私と…その、付き合っているのじゃないかって。
(「冗談じゃないぞ」と頭を抱えてしまった。
以前も意地の張り合いでぎくしゃくしたことがあったが、また同じ事をしてしまうなんて。)
えりか:なあ、白羽、誤解を解いて仲直りするにはどうしたらいい?
蘇芳:今までの経緯を話して、「御免なさい」をしてハグすればいいのよ。
(「それが出来りゃこんな質問はしていない」と。
半に顔に出ていたのだろう、書痴仲間は暫しこめかみに指を添えると。)
蘇芳:(拍手)そうだわ!歌をプレゼントしたらどうかしら?
えりか:っえ、歌だ?
蘇芳:ええ。えりかさんは恥ずかしい真似は出来ないって言っていたけど、
ここまで拗れてしまったんだから、理由を話した後
心の籠ったプレゼントをしないと収まらないと思うわ。
えりか:いや、しかし…プレゼントは兎も角、歌は…
蘇芳:えりかさんが歌に苦手意識を持っていることは知っているわ
だからこそ本気が伝わると思うの。
(珍しく言い切る白羽に、「確かにそうかもしれない」と思ってしまった。
思ってしまったのだ。)
えりか:まあ、お前がそこまで押すんだ、やってみるよ。
(白羽との歌の練習は率直に言って、地獄だった。
彼奴があれほどスパルタだとは思わなかった。
そして、歌詞を作る才能を持っていたことも…)
(自作の歌ってな…気恥ずかしくはあったが、素晴らしい出来だと思う。
これで、彼奴との関係も…)
千鳥:遅かったのね。
えりか:夜に寄宿舎を抜け出すのは難しいんだよ。
駆け足で来るわけにもいけないだろう。
千鳥:あ…
(夜の聖堂にて呼び出した相手、千鳥はいつもの自虐風冗句に笑うでもなく
どこか痛ましそうな顔をしていた。)
えりか:お前を呼び出したのには理由がある。
千鳥:聞きたくないわ。
えりか:此処で怪談話をするわけじゃない。聞いてくれよ。
千鳥:白羽さんとの事でしょう?ここのところずっと彼女の部屋に入り浸りだったものね。
えりか:それは…
千鳥:今更言い訳?それとも恍けるっていうの?
えりか:おい。話を…
千鳥:そんな話聞きたくなんてない!私…私だって傷付くのよ。
だって、好きになった人に別の好きな人が出来たって告白されるんだから。
傷付かないわけないでしょう?そうようね?!
えりか:落ち着けって!誤解なんだよ。
千鳥:何が誤解なのよ!私と付き合っていたっていうのが誤解だというの?
えりか:お前、大概面倒くさい女だったんだな。
千鳥:(泣き声)えりか…止めて…今更抱き締めたからって…
えりか:いいから聞け。兎小屋で白羽と抱き合っているのを見たって話だろう?
あれは私が彼奴を虫ネタで弄ったから、驚いて抱き着いてきただけなんだよ。
千鳥:嘘!
えりか:本当だ。私もお前のことを誤解していた。
白羽の部屋で彼奴に迫っていたのも、キスしようとしていたんだと思っていた。
でも誤解だって白羽から聞いたよ。
千鳥:図書室で仲良くしてたわ。
えりか:あれは…その…し、嫉妬だよ。
キスを迫っていたように見えていたから、意趣返ししてやろうって。
千鳥:分かった。でも、それが誤解だって分かっていたのに
ずっと白羽さんの部屋に入り浸っていたじゃない。
えりか:それは…白羽から提案されたんだよ。
ここまでぎくしゃくしたからには、何かプレゼントして仲直りするべきだって。
それで…歌をって…
千鳥:え?歌?歌って、歌を?
えりか:ああ、自作の奴だ。彼奴、歌詞を作る才能まであったんだな。
千鳥:(笑い)
(抱き締めたままの千鳥の体が揺れ、不安から見上げてしまった。
だが、見上げた千鳥の目は強張りが解け、笑みで溢れていた。)
千鳥:そう…そういうことなのね。私達白羽さんにいっぱい食わされたんだわ。
えりか:あ?そりゃどういうことだ?
千鳥:少し前私が白羽さんと東屋へ遊びに行っていたことがあったでしょう?
(頷く。そもそも誤解をした始まりだ。)
千鳥:あれは白羽さんと私とで歌を作っていたのよ。
えりか:何?
千鳥:二人で歌詞を、曲を考えて。
えりか:それじゃもしかして…私が白羽と練習した自作の歌っていうのも…
千鳥:(笑い)私からえりかへのプレゼント。誕生日、何も贈ってなかったでしょう?
えりか:私への…贈り物?
千鳥:えりかから髪飾りを貰ったわ。だから今度は私。白羽さんに何がいいか相談したのよ。
えりか:そうか…(笑い)確かに、白羽にしてやられたってわけだ。千鳥は私への誕生日のプレゼントとして歌は。
千鳥:えりかは仲直りのプレゼントとして同じ歌を贈ろうとしていたのね(笑い)。
(抱き合ったまま、二人で笑い合った。
体中から嫌なものが溶け出し、すべて消化するような笑い。
この学院に入って、いや、何年かぶりに、こんなに屈託なく笑えただろうか。)
千鳥:えりかの歌、聞きたいわ。
えりか:千鳥の歌もな。
蘇芳視点
(聖堂の仄かなステンドグラスの明かりの中、抱き合う二人を見て
私は彼女たちが通じ合ったのだと感じた。
とても深く、とても静かに。かつてこの場所で私とマユリがそうだったように。)
えりか:いつまで覗き見している気だ?
蘇芳:えりかさん。
えりか:お前には色々言いたいことがあるが。
千鳥;貴女に頼みたいことがあるの。
蘇芳:分かっているわ。
(聖母祭で爪弾いたように、私はあの時以来触れていないピアノへ。)
えりか:白羽…
蘇芳:もう平気よ。弱い私は私の好きなあの子が連れて行ってくれた。だから、もう大丈夫。
(現場に指を添えると、背に、頬に、マユリの息遣いを感じた。もう恐れることはない。)
蘇芳:二人とも、準備はいい?
えりか:ああ。
千鳥:ええ。
蘇芳:心を合わせて始めましょう。夏空の光。
夏空の光~ピアノバーション
(えりか)高い場所に
(千鳥)届く前に
(合)弾けて消えた
(えりか)シャボンの色
(えりか)窓の外に
(千鳥)腕を伸ばし
(合)もう少しで
(えりか)届くものも
(千鳥)諦め
(えりか)どんな時でも
(千鳥)守られていた
(えりか)それでも何時かは
(合)この場所から
(千鳥)飛び立つ日が来る
(合)空遠く
(えりか)広がる群青 (千鳥)揺れる (合)独り浮かぶ浮浪雲
(えりか)置き去りにされてる (千鳥)そう
(えりか)私の (合)心の様
(合)連れて (千鳥)行って穏やかな (えりか)優しい (合)風に貴女を感じる
(千鳥)差し伸べた (えりか)はや 伸ばす (合)この手を (えりか)いま (千鳥)握って
(千鳥)暑く照らす
(えりか)日差し避けて
(合)隠れた影に
(千鳥)貴女の声
(えりか)不意に触れた髪の匂い
(えりか)熱を帯びた (千鳥)熱を帯びた
(えりか)この気持ちが
(合)震える
(えりか)目も合わさずに
(千鳥)擦れ違ってた
(えりか)俯く日々から
(合)顔を上げて
(えりか)向日葵の様に
(合)夏空が (千鳥)遮る物なく (えりか)強く
(合)私を見詰めるように
(千鳥)貴女の真っ直ぐな (えりか)その
(千鳥)言葉で (合)変われるの
(合)守り (えりか)たいと思った (千鳥)その
(合)初めて生まれた心が
(えりか)寄り添った (千鳥)寄り添える今
(えりか)眩しく光って
(ピアノ)
(合)空高くこの手を伸ばした届きそうな雲見上げ
(合)今ならば掴める七色の輝き
(合)連れて (えりか)行って穏やかな (千鳥)優しい
(合)風に貴女を感じる
(えりか)差し伸べた (千鳥)この
(合)恋を繋ぐ
(千鳥)夏の空 (合)何時も私を見詰めてくれる
(千鳥)貴女の真っ直ぐな (えりか)その
(千鳥)言葉で (合)変われるの
(合)守り (えりか)たいと思った (千鳥)その
(合)初めて生まれた心が
(えりか)寄り添った (千鳥)寄り添える今
(えりか)眩しく光って
(恐らくフックマン事件が契機だったのだろう、あの事件を経て
相棒が、考崎千鳥が怪奇譚を好むと分かってから。)
千鳥 「次はえりかの番よ。」
(消灯し、月明りだけの薄ぼんやりとした闇夜の中
互いに怪談話を披露することが多くなったのは……)
千鳥 「もう寝ちゃった?」
えりか 「顔を覗き込むな!あんなおっかね話聞いて寝られるほど神経図太くねよ。
病院嫌いになったらお前のせいだぞ。」
千鳥 「ふふ、それなら看病が必要ね。」
えりか 「あっ、こっちのベッドに移ってくるな!何のつもりだ?」
千鳥 「今度はえりかの怖い話を間近で聞くためよ。」
えりか 「そんなにくっつかなくても聞こえるだろうが。暑いんだから少し離れろよ!」
千鳥 「いやよ!ほら、話して。」
えりか 「しょうがない奴だな。まぁ、そうだな
実体験の後に又聞きを話すのは心苦しいが、姉から聞いた話を披露することにしよう。」
千鳥 「お姉さん?変わり者だっていうあの?」
えりか 「いや、長女の方さ。」
千鳥 「えー、なんだか意外ね。話を聞いていると、オカルトなんて信じなそうな人のに。」
えりか 「だから逆に信憑性が増すってもんだろう。これが次女から聞いた話なら眉唾だが
上の姉から聞いた怪奇談だから、背筋が凍ったよ。」
千鳥 「期待できそうね。」
(そう告げると、狙っていたかのように、雲間が月を隠した。
部屋に真の闇が訪れる、月籠りだ。
そして、月が欠ける刹那、アミティエの口元は、夜明け前の三日月のような笑みを浮かべていた。
蒸し暑い部屋の温度さえ、下がった気がする。)
千鳥 「えりか?」
えりか 「ああ、話すよ。こいつを聞いたのは、今から四年ほど前のことだ。
姉が高校二年生の頃の話だったな。長女がバレエを習っていたってのは話しただろう。」
千鳥 「ええ。」
えりか 「姉はバレエで食っていくつもりだった。だから一つの教室で習っているだけじゃなく
長期休みの時は、合宿にも出て、練習に励んでいた。」
千鳥 「一人の師だけではなく、様々の踊りを吸収するためね。」
えりか 「まぁ、そういうことなんだろうが。
高二の夏も、バレエ教室の講師の勧めで、とある場所へ合宿に赴いた。
夏休みをバレエ漬けにするためにな。」
千鳥 「最高だわ。」
えりか 「いい歳した女の夏の過ごし方じゃないと思うがね。
まぁ、その教室は割と高名な講師が務めていたのか、姉のような変わり者が何人も教えを受けに来ていたそうだ。
そして、皆教室そばの民宿を常宿にしていたんだな。」
千鳥 「民宿?」
えりか 「うん?お嬢様だな。知らないのかよ。
まぁ、イメージとしては、二階建ての大きな日本家屋を想像してくれりゃいい。」
千鳥 「なんだか楽しいそうね。」
えりか 「姉は神経質だから、襖だとプライベートが保てないとか
皆で雑魚寝とかは苦痛だったらしいけどな。
練習はハードだったそうだよ。
寝食を共にする練習生が一人、また一人と、櫛が抜けていくみたいに消えてたそうだ。
いつも合宿はハードだったが、今回は特にきつかったらしい。
講師がスパルタだったんだな。普通そういう場合は、練習生同士結託するもんだが
疲れとライバルというのもがあってか、あまり仲良くはならなかった。
代わりに、民宿のお婆さんさんと仲良くなったそうだ。」
千鳥 「お婆さん?」
えりか 「千鳥に分かるように言うなら、ホテルの支配人、女将みたいなもんさ。
民宿の責任者だよ。姉はあれで如才ないから、年上には好かれるんだよな。
まぁ、仲良くなったのは子供好きってのもあるんだが。」
千鳥 「子供好きってどういうこと?」
えりか 「その民宿で、お婆さんの娘の子供、孫を預かっていたんだよ。
二歳の双子の赤ちゃんだ。何でもシングルマザーで、繁忙期の間預かっていたそうだけどね。」
千鳥 「二歳って、赤ちゃんって言うのかしら?」
えりか 「そっちに食いつくんだな。私も詳しくないから、赤ちゃんの定義ってやつは知らない。
まぁ、随分と大人しい子供だったそうだよ。
それで、姉の話では、言葉を覚えるのが少し遅い印象だって言っていたな。
なんでも二歳くらいになると、単語を繋ぎ合わせた二語文くらいはなんとか喋れるらしいんだが……」
千鳥 「二語文って?」
えりか 「『ママ、あれ』、『いぬ、いる』みたいなやつさ。
でもその子供はまだ一語文だけしか喋れなかったって。」
千鳥 「つまりママ、パパだけってことね。」
えりか 「そういうこと。姉は子供好きだから、お婆さんと一緒に面倒を見ていたそうなんだよ。
夏休みいっぱいの合宿だ、何日も顔を合わせて世話をしていると
顔を覚えて、ママとか言われて、嬉しかったってさ。」
千鳥 「なんだか微笑ましい話ね。」
(声を弾ませる千鳥へ、「ここからが本題なんだよ」と、声を潜ませた。
これが怪奇談だと分からせるように。)
えりか 「面倒を見ている日が多くなると、姉を信頼したのか、お婆さんがいない時ってのも出て来た。
姉一人で、双子の赤ちゃんをあやしている時だ。
そして二人っきりになると、ある言葉をよく言うようになったんだな。」
千鳥 「もしかしてそれって呪いの言葉とか?」
えりか 「不吉な言葉じゃない。決まった一語文だ。
片方の赤ちゃんが『あめ』と言うと、もう片方の赤ちゃんが『ふる』ってさ。
で、その言葉を聞くと、必ず雨が降ったそうだ。」
千鳥 「えっ!?それって予知じゃない、凄いわ。」
えりか 「姉は始め信用していなかった。
たまたま繋がった単語が意味が通る言葉になっただけだって。だが……」
千鳥 「予知は当たったのね。」
えりか 「ああ。だけど合宿は夏休みだから、通り雨、夕立が多いだろう。
だからだろうって思ったそうだ。
でも、その後も二人っきりになると、『あめ』『ふる』と。」
千鳥 「その言葉が出たときだけ、雨が降る。」
えりか 「ああ。何度も言い当てられ、オカルトを信用してない姉も
その一語文を繋げて言われた時は、傘を持って行ったそうだよ。随分助かったそうだ。」
千鳥 「いい話だわ。」
えりか 「だが、それだけじゃ終わらない。」
千鳥 (ごっくり)
えりか 「その頃になると、朝一番で双子の赤ちゃんの元へ行った。予言があるかどうか聞くためさ。
二人っきりになっても言わない時もあれば、言う時もある。その日は『あめ』『ふる』と告げた。」
千鳥 「傘の出番ね。」
えりか 「ああ、いつもなら。だが、その日の『あめ』『ふる』はどうもおかしく聞こえたそうなんだ。」
千鳥 「二語文が言えるようになったとか?」
えりか 「そういう微笑ましい話じゃない。
姉が言うには、『あめ』は『あめの』、『ふる』は『くる』に聞こえたそうなんだ。」
千鳥 「くる?」
えりか 「その一語文も、いつもとは声の響きもおかしかったし
得体の知れないものに触れたようにぞっとしたって。
姉はあやすのもやめて、急いで傘を持って教室へ向かった。
背中に張り付いた冷気を振り払うように、いつも以上に練習に熱を入れた。
そして、練習を終え、帰ろうとすると……」
千鳥 「夕立が来たのね。」
えりか 「ああ、姉はほっとしたと言っていたよ。
『あめの』『くる』は、自分の聞き違いで、いつもの『あめ』『ふる』だったんだってさ。
持ってきた傘を差し。夕闇が迫る、雨で濡れた道を行き、民宿へと戻った。
そうしたら……雨は止み、民宿の玄関先で、掃除をしているお婆さんがいた。
姉は挨拶をし、お婆さんととりとめのない雑談をした。
その中で、傘に目を止めたお婆さんが
『お嬢ちゃんは島のものではないのに、雨が降るのをよく分かるね。』そう言ったのさ。
姉はその言葉を受け、悩んだ。」
千鳥 「何を?」
えりか 「真実を語るか否か、だ。人によったら、気持ち悪い話をするなって怒られることもあるだろう。
なんせ、大事な孫に対しての話だ、だから姉は迷った。
口籠り、不審な目で見るお婆さんへ、結局、話すことにしたのさ。
今朝方のなんとも言えない気味の悪さを一人で抱えられなかったんだろうな。
誰かに話して共有したかったんだろう。だからお婆さんへ
事前に雨が降ることが分かるのは、双子の赤ちゃんのおかげだと話した。」
千鳥 「それで?」
えりか 「姉の予想に反して、お婆さんは怒るどころか、興味深そうな顔をして
『そういう事もあるものなんだね』と頷いた。
だが、そこで終われない。
姉は共有してもらいたかったんだ
耳にしたあの言葉を。
だから、今日は違ったんですと続けた。」
千鳥 「『あめの』『くる』ね。」
えりか 「ああ。『あめの』『くる』。そう聞いたお婆さんの顔色がさっと変わったそうだよ。
そして『雨野(あめの)さん』と呟いた。」
千鳥 「えっ?ましかして近所の人の名前を赤ちゃんが覚えていたってこと?」
えりか 「いや、そうじゃない。
お婆さんが呟いたのは今いる玄関の先、塀の入り口に雨野さんを見かけたせいだったんだ。
お婆さんの視線に誘われるように、姉も振り向いて、深く帽子をかぶったお爺さんの姿を見た。」
千鳥 「近所の人が来たのね。」
えりか 「姉もそう思った。なんだ、近所の人かって。
姉は雨野さんに会釈をして、不意にお婆さんに抱きしめられた。頭を抱えられるようにしてね。
ひどく強い力で、頭は動かせない、視線はお婆さんの服しか見えないって状況だ。
『どうしたんですか?』と声を出そうとしたその時、『見たらいけん!』。」
千鳥 「ひっ!!」
えりか 「『雨野さんは一月前に亡くなってる。見たらいけんよ。』
どれくらい頭を抱えられていたのか分からない、ただ、随分長く感じたそうだ。
しばらくしたら強張った腕を放してくれたそうなんだが……」
千鳥 「なに?」
えりか 「私は思うんだよ、姉が言った『しばらくしたら放した』って。
こいつは想像だが、雨野さんは塀の入り口で、じっと佇んでいただけなのかなってさ。」
千鳥 「あっ。」
えりか 「もしかしたら、お婆さんに会うために、ひたひたと近づいて来たんじゃないのか。
姉の背のすぐそばまで来ていたんじゃないのかって。
ずっと頭を抱えていたのは、雨野さんが帰るまで
姉を振り返らせないようにさせていたんじゃないのかなってね。」
千鳥 「双子の赤ちゃんが『あめの』『くる』って呟いていたのだものね。」
(千鳥が私の妄想を引き継いだ。
双子の赤ちゃんしかいない静かな畳敷きの居間には、三つの影があるのだ。
一語文だけしか言えない赤子と、雨野さんが。)
千鳥 「それで、お姉さんは?」
えりか 「夏休み中きちっと合宿をやり終えて帰ってきたよ。
私なら真似できない。すぐ家に戻る。」
千鳥 「そしてその話をえりかにしてくれたのね。」
えりか 「夏休み何か面白いことはなかったって聞いた時にね。
風呂に一緒に入っている時だった。
頭を洗うのが億劫になったよ。」
千鳥 「そういう意地悪なのは遺伝なのね。」
えりか 「お返しに『夜眠れない』って言っていた時、姉が合宿に行っている間
次女と体験した面白い話をしてやったよ。」
千鳥 「面白い話って?」
えりか 「いや、笑えない話、だな。聞いた姉はさらに寝不足になった。私の話はこれでおしまい。」
千鳥 「えっ!?次女と体験したっていうお話聞きたいわ!」
えりか 「それは次の楽しみにしておけよ。それに、こいつを聞いたら、眠れなくなっちまうぞ。」
千鳥 「そんな!」
えりか 「それに明日は、早く寄宿舎を出た方がいい。『あめ』『ふる』って言っていたからさ。」
『フラワーズ』サウンドドラマCD 怪談夜話 その三